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ワシントン体制
 1920年代の東アジア国際関係は、所謂「ワシントン体制」によって規定されていたと言われている。
 「ワシントン体制」の本質については学説上争いがある。従来通説的地位を占めていた入江昭氏の研究によれば、ワシントン体制は「従来の国際関係のフレームワークに取って代わる、『経済外交』を基盤とするアメリカ主導の新しい相互関係」であるとされる。また、入江氏の研究を発展させたものとして細谷千博氏の研究がある。細谷氏によれば、ワシントン体制とは「日・米・英の協調システムであり、第一次大戦前の二国間政治提携の否定を目指す、新たな多数国間の提携システムの設定を試みたものであり、『旧外交』にかえるに『新外交』の理念にもとづく、東アジアの新たな国際政治秩序の実現である」とされる。入江・細谷両氏の学説に対し、最近の有力説として服部龍二氏の学説が挙げられる。服部氏は入江・細谷説を「ワシントン体制新秩序説」とし、これに対し自説を「ワシントン体制旧秩序説」と称した。服部氏によれば、ワシントン体制とは「日米英三国間の中国をめぐる現状維持を核心とする合意」を基礎とする秩序である。その「合意」とは、1922年にワシントン会議において締結された「支那ニ關スル九國條約」(いわゆる「九箇国条約」)を核とするワシントン諸条約をさす。以下、本稿では服部説の立場から考察を進めることにする。
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ジャンル:政治・経済‐テーマ:歴史

| 【2008/01/20 19:57】 | 政治史・外交史 | 被参照(0) | 意見(0) |
国際システムと国際レジーム
 本稿の目的は、近年提起されてきている「国際レジーム論theories of international regimes」を、1920年代の東アジア国際関係を規定したと言われている「ワシントン体制」に適用するという(少々強引な)試みを行うにあたり、「国際システムinternational system」及び「国際レジームinternational regime」それぞれの概念を整理することにある。

 「国際システム」とは、一般的には「最大の社会システム」を示す。しかし「国際システム」は分析概念であるため、それが実際に存在していると考えるか否かは各理論に依存する。古典的リアリズムにおいては、国際システムは近代主権国家体制として把握される。すなわちここにおいては主権国家が唯一の主体である。これに対し、国家の枠を超越して相互作用する主体の存在を強調し「国際システム」概念を批判することによって登場した「世界システム」という概念は、リベラリズム学派の世界観に依拠する。また英国学派the English schoolにおいては、(近代主権国家体制としての)国際システムを前提として、「国際社会international society」が想定される。英国学派を代表するH. Bullは、「国際社会」とは「国家が一定の共通利益と共通価値を承認し、同一の規則体系に服し、共通制度の働きに協力する社会」であるとした。このように国際的な共通ルールや制度を重視するという点では、英国学派はリベラリズム学派の国際レジーム論と共通点を有すると言える。ちなみにBullによれば、「主権国家システム」という言葉が始めて使われたのは、プーフェンドルフの論文集『国家システムについてDe systematibus civitatum』(1675)においてであった。

 「国際レジーム」とは一般的には、国際システムにおいてgovernance(秩序の形成・維持)を担う制度的枠組みであると言えるが、この概念に関しても各学派により見方に相違がある。S. Krasnerによれば、国際レジームとは「行為主体の期待が収斂する原則、規範、ルール、決定手続きの集合」である。これは社会構築主義constructivismの見方を反映している。一方リベラリズム学派は国際レジームを、囚人のディレンマを克服し国際協力を実現させるための制度的枠組みである、と捉える。またネオ・リアリズム学派の覇権安定論においては、支配的強大国によるgovernance(広義の「統治」)のための制度的枠組みである、とされる。
 このように各学派によりその見解に相違があるものの、その相違を強調することはあまり有益ではない。現実の国際政治においては、国際レジーム(それが存在するとすれば)は多かれ少なかれこれら総ての要素を持っていると見るべきであろう。

参考文献
  • 石黒馨「国際システムと国際レジーム」『阪南論集 社会科学編』第25巻1-3号、1989年、pp.79-89

  • 鈴木基史「国際協調と国際レジーム」『総合政策研究』第5巻、1998年、pp.59-86

  • ヘドリー・ブル『国際社会論 アナーキカル・ソサイエティ』岩波書店、2000年
| 【2008/01/20 13:40】 | 國際政治理論 | 被参照(0) | 意見(0) |
左翼ねた【毎日新聞】
 いわゆる「南京大虐殺」の写真展示について。

 ただ、昨年11月と12月の2回、計8時間近くかけて展示物を見て回った私は、最後まである違和感を払しょくできなかった。(中略)展示内容が事実だということにも何の疑念も持たない。それでもなお残る違和。
 それは、この展示を見ていると、当時の日本兵や日本人が、現在の私たちとは全く異なる冷酷無比なモンスターだったかのように思えてしまう点にあった。旧満州で戦死した祖父の子供を思うエピソードを父から聞いた身には、とてもそうは思えないのである。
 館を運営するNPOの高実康稔理事長に聞くと、展示を見て自分にも身に覚えがあると名乗り出た元兵士は、これまで1人もいないという。
 「現れてもよさそうですけどねえ」と、高実さんは不思議がるが、私は無理もないと思った。お前は冷酷無比なモンスターだったと指弾されて、「はい、そうでした」とうなずくのは、やはり難しかろうと思うからだ。
平和をたずねて:二つの笑顔の間で/1 日本兵は怪物だったのか(毎日jp)


 今更いちいちツッコむのも興ざめだが、「現れてもよさそうですけどねえ」って実際なかったんだから現れるはずないだろうて。「とてもそうは思えない」というこの記者の直感は、(本人の意図に反して)正しいですよ。「何の疑念も持たない」って、いや疑念持てよ
 「南京大虐殺」の証拠写真は一つもないということが明らかになっているというのに、こういう写真を利用した印象操作・大衆煽動、そろそろ懲りてもよさそうですけどねぇ。
| 【2008/01/20 13:00】 | 左翼 | 被参照(0) | 意見(0) |
謹賀新年
 謹んで新年のお慶びを申し上げます。

皇紀二六六八年 元旦
| 【2008/01/01 00:00】 | 催し物 | 被参照(0) | 意見(0) |
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