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クリスマス・メッセージ
 「クリスマス・メッセージ」とは、一二月メモランダムとも呼ばれる、支那における英国の外交方針を宣言した覚書である。これは一九二六年一二月一八日に北京の各国外交団に対し発表され、二六日に一般に公表された。
 覚書の内容は、北京政府の権威が低下する一方で広東国民政府の影響力が増大しつつあることを認めた上で、ワシントン付加税増徴無条件承認と支那における歳入の外国支配からの完全開放とを提案するものであった。すなわちこれはそれ以前の、北京政府を支那における唯一の正統政府と認め、且つ国民政府の影響下にある(そのことは直ちにコミンテルンの影響下にあることを意味する)国権回収運動に対する武力干渉を辞さない、という英国外交の方針を大転換させたものとして、重要な意味を持つ文書である。
 これはしばしば英国外交の「撤退」であるといわれるが、英国政府の意図は、大陸における英国権益のある部分において譲歩することによって、より根幹を成す権益の防衛を確実にすることにあった。
 しかしながら、一九二六年一二月に表明されたこの方針が、現実の外交に即座に反映されたわけではない。一九二七年一月、漢口の英国租界が中国国民革命軍によって暴力的に回収された(漢口事件)。三月二四日に国民革命軍は南京に進攻し、現地のイギリス・アメリカ・日本人が暴徒の襲撃を受けた(南京事件)。英米は事態を収拾するために南京市街に向け揚子江上から砲撃を行ったが、英国の要請にも拘らず、幣原の大陸不干渉政策のため日本はこれに参加しなかった。英国は幣原の方針を勿論快く思っておらず、それ故田中内閣が一九二七年五月の第一次山東出兵を決定した時にはこれを歓迎し、且つ自ら華北治安維持のため部隊を派遣した。
 田中内閣はまた一九二八年四月に居留民保護のため第二次山東出兵を閣議決定した。五月三日には帝國陸軍と国民革命軍との武力衝突に至った(済南事件)。この事件により、従来英国を主敵としてきた支那の排外運動は、以後は日本を標的とするようになった。その意味で、この時期には英国外交の方針転換は功を奏してきており、英国は対日協調には見切りをつけていた。
 英国が日本との協力を求めたとき日本はそれをにべもなく拒み、逆に日本が英国との協力を求めたときには英国がそれを退けた。その転換点が八一年前のクリスマスにあった。

参考文献
 河合秀和「北伐へのイギリスの対応―『クリスマス・メッセージ』を中心として―」『ワシントン体制と日米関係』東京大学出版会、1978年、pp.157-189
 服部龍二『東アジア国際環境の変動と日本外交1918-1931』有斐閣、2001年
 イアン・ニッシュ「イギリスの戦間期(一九一七-三七)国際体制観における日本」『日英関係史1917-1949』東京大学出版会、1982年、pp.45-80
 後藤春美『上海をめぐる日英関係1925-1932年 日英同盟後の協調と対抗』東京大学出版会、2006年
 中西輝政『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』PHP研究所、2006年

ジャンル:政治・経済‐テーマ:歴史

| 【2007/12/25 18:23】 | 政治史・外交史 | 被参照(0) | 意見(0) |
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